牛乳石鹸のCMをめぐって、ネット上がざわついている。
CMに対する批判のほとんどが、女性側から見た男性の無責任さについてだ。
こちらがその動画↓
引用元:YouTube
主人公は普段、家庭的で妻子のことを考えている優しいパパを演じている。
しかし、本当の父親像はそれでいいのだろうか?と疑問視する。
主人公の男性の父親は、家庭を顧みない典型的な昭和の時代のお父さん像。
昭和の時代はそんな仕事一本のお父さんがウジャウジャいた。
帰宅時間は残業で遅い、もしくは会社の同僚と飲んで午前様なんてしょっちゅうだ。
たまに早く帰ってきても子供と遊ぶこともなく、アニメ番組を見ていた子供からテレビを奪って野球中継にチャンネルを変えてしまう。それも、ごくごく普通のことだった。
今なら、児童虐待だと言われるかもしれない。
故にお父さんは子供にとっては鬱陶しい存在でもあった。
休みの日でさえも、釣りかパチンコに出かけて、夜になるまで帰らない。
勉強を教えてくれる訳でもなく、キャッチボールをしてくれる訳でもなく、ただ昭和のお父さんは仕事してお金を家に入れて、あとは好き勝手やっているだけだ。
朝食のあと、お茶をすすりながら新聞を広げ、まだテーブルに置かれたままになっている「たくあん」をポリポリと口に入れては、またお茶をすするという繰り返し。
食事の後片付けを手伝うなんていう言葉は昭和のお父さんの辞書には載っていないのだ。
しかし、いざとなれば夜中に不審者が家の周囲をうろついているのを発見するやいなや、木刀を片手に勢いよく表に飛び出したりもした。未だにその木刀はどこで仕入れたのか皆目見当もつかないが…。(ちなみにうちの場合)
それが昭和のお父さんだったのだ。お父さんはお父さんだったのだ。
そんな、父親の姿を見て育った私も、気づけば同じことをしていたのかもしれない。
案の定、平成の時代にそんな昔気質が通用する訳もなく、結婚10年目にして破局を迎えた。息子がまだ4歳になったばかりであった。
そしてシングルファーザーとなった私が頼りにしたのは母だった。
しかし、それも束の間、離婚後2ヶ月にして今度は母に胃がんが見つかった。
母を頼ることができなくなった私は、保育園の送り迎え、ご飯の用意、洗濯、掃除、全てをやらなければならなくなった。
それまで、家事、育児をほとんどして来なかった私は、家事と育児がこんなにも大変でかつ重労働であるかを初めて知ることとなった。
毎日残業して子供が寝ている時間に帰宅し、出張で国内外問わず飛び回っていた私に比べて、仕事しながらでも家で家事をしたり子供と戯れている妻の方がよっぽど気楽だと思っていたことが根底から覆された。
そして、この仕事しながら家事をしてなおかつ育児をするという三拍子のうち、もっとも過酷で重労働なことは意外にも「育児」だったと気付かされたのだ。
子供は大人の予想に反して、突拍子もない注文をどんどんしてくる。こちらが忙しかろうが、今どんな状況だろうが、そんなことはお構いなしだ。
ちょっとでも子供の意に反して大人の都合を優先しようとすると、泣く、わめくの全身全霊での猛反撃が私を襲う。
その度に思うことは、「そう。君が悪いんじゃない。悪いのは全部パパのせいだよ」って。
私にとってそんな過酷なことがほぼ毎日のように繰り返されるのだが、しかし、本来それ自体は特別なことでもなく、それが生きていくという行為そのものなのだと受け止める方が賢明なのだ。
そしていつしか私は、「仕事と家事と育児の三拍子」をこなしている世の中のお母さんたちに対して、なんて素晴らしい!なんて強いんだ!と尊敬するようになった。
私は離婚をきっかけに、それまでの全く家庭を顧みない側の人間の気持ちと、「三拍子」を日常的に受け止めて日々、奮闘している側の気持ちの両方を理解できる人間となった。
一度でも、小さな子供と一対一に向き合って奮闘したことがあるひとなら、このCMの主人公のやっていることが腹立たしくて仕方がなくなるのは当然かもしれない。
炎上している人たちの中でどっちに軍配があるかは、やっぱり子供をちゃんと育てているひとの方、なのかな。
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