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日本の自然災害のリスクは世界的に見ても高すぎる
今日、9月1日は「防災の日」。
日本という国は自然災害の多い国だ。
台風、地震、津波、洪水、大雨(ゲリラ豪雨含む)、大雪、土砂災害、火山の噴火など思い当たる災害は一瞬にして列挙できる。
そして、その自然災害は世界の中でも特に日本に集中していることがわかっている。
日本の国土の面積は全世界のたった0.28%しかありません。しかし、全世界で起こったマグニチュード6以上の地震の20.5%が日本で起こり、全世界の活火山の7.0%が日本にあります。また、全世界で災害で死亡する人の0.3%が日本、全世界の災害で受けた被害金額の11.9%が日本の被害金額となっています。このように、日本は世界でも災害の割合が高い国です。
引用元:JICE国土技術研究センター(引用元はこちらから)
災害の頻度に比例して犠牲者の数も世界的に見て非常に多いという結果に、
東日本大震災や阪神淡路大震災で亡くなられた方がいかに多かったのかを容易に想像することができる。
犠牲者の方々には改めて心からご冥福をお祈りすると同時に、今もなお、住み慣れた土地、家を失って避難を余儀なくされている方々には心からお見舞い申し上げたい。
今回のテーマは決して他人事ではなく、自分たちにも同じような被害や犠牲がもたらされてもおかしくないというスタンスのもと、キャンピングカーの防災に対する有用性についてお話ししたいと思う。
ミサイルは知らないうちに飛んでくる
”災害は知らないうちにやってくる”という言葉は昔からある言葉だ。
しかし、最近の北朝鮮問題を例にあげれば、我々を脅威におとしめるものは何も自然災害ばかりではない。
”ミサイルは知らないうちに飛んでくる”という言葉を同義語にしなくてはならなくなった。
日本海には落としても、日本上空を超えることなんてまずないだろうというのが大方の見方だった。
だが現実というのは我々の勝手な思い込みを簡単に裏切ってしまうものなのだ。
もし日本にミサイルが大量に打ち込まれて、日常の生活ができなくなるかもしれないと考える人を、”バカな妄想野郎だ!”なんて罵ることができない時代がやってきたのだ。
そういう人為的災害は何も今に始まった話ではない。
福島の原発事故はまさに人為的災害の何物でもない。(きっかけは自然災害かも知れないが、ここまで発展してしまったのは人為的と言わざるを得ない)
今もなお、事故の被害に直面されている方々が大勢おられるのは事実であり、
現地の農作物などの信頼を回復させるべく日々戦っておられる方もいる。
自然災害に人為的災害を加算すれば、ますます我々は相当なリスクに晒されているということになる。
レジャーだけに使うという考えを捨てれば社会に認められるはず
前置きが長くなったが、本題のキャンピングカーの話をしたい。
キャンピングカーというのは、一般的には高価なレジャーのための道具というイメージがあることに、私は否定はしない。
考え方一つで、高価と思う人もいれば妥当と考える人もいて、どちらも間違いではないと思う。
レジャーばかりでなく災害時の避難場所としての活用も前提に考えたとしたら、キャンピングカーはもっと社会に受け入れてもらえるものになるのではないかと思う。
単なる贅沢品が、いざとなれば災害シェルターにもなる、という思想が浸透すれば、キャンピングカーももっと市民権を得られるのではないだろうか。
災害時に遠慮するより何か役に立てることを考えよ
いざ、キャンピングカーを手にした。
そして不幸なことに、災害時の避難場所として実際に使うことになってしまったと仮定しよう。
ただでさえ災害避難時は誰もがストレスや疲れで、ちょっとしたことから近くにいる人とトラブルになりやすい。
例えば、避難している人のほとんどが、体育館や公民館のスペースを利用している。
反対に、自分の方はライフラインと十分な居住空間を備えたキャンピングカー。
「なんだか気が引けてしまうなあ。キャンピングカー、使うのやめたほうがいいのかなあ?」
と思ってしまうのも無理はない。
しかし、そこで考え方を少し変えてみよう。
備えた人と備えていない人の違いというだけで、それもまた現実なのだと。
また、避難所のキャパシティはただでさえ限られている。
壁もない体育館の床上にはプライバシーなど皆無に等しく、パーソナルスペースにも限りがある。
せめて自分たちだけでもキャンピングカーに避難して、その中で少しだけできた余裕を何か困っている人への協力にまわすことができないか?と。
そういう余裕から生じた無形のエネルギーを使うもよし、キャンピングカーの設備という有形のものを一時的に解放してもいい。
炊き出しの場所としてサイドオーニングを解放してあげてもいい。
私の勝手な思い込みだが、キャンピングカーが好きな人は世話好きな人が多いような気もする。その気持ちを遠慮せずに大いに役に立てればいいのだ。
せっかく所有してもいざという時に使えなければ意味がない
キャンピングカーは、確かにビジネスホテルの一室のような使い方をすれば、物がごちゃごちゃせずに済むし見た目もスッキリする。
しかし、災害シェルターを想定しておくならば、いつでも活用できる態勢を整えておかなければならない。
生活感を常に出しておくような使い方がシェルターとして活用に繋がる。
- 食料は常に備蓄しておく。
- 日用品や衛生用品、薬を積んでおく。
- キャンプの度に期限の迫った古いものから消費しては新しいものを補充する。
- 水のタンクは帰宅したら満タンにしておく。
- 帰宅途中にガソリンを満タンにしておくなど。
また物資以外では、
- 災害発生時に家族とどのように合流するか。
- キャンピングカーをシェルターとして使う以上、すぐに避難場所に移動させなければならないが、誰が移動するのか?主人の帰宅を待っている間に車両が洪水に流されたら意味がない。
など、事前に家族で話し合っておく項目は色々とある。
また、普段の運転者以外が移動させる必要性も考慮し、日頃から他の運転者の練習も必要になるかもしれない。
ペットはただのペットじゃない。家族だ。
私は、現在飼っているペットはいないが、14年間飼っていた猫がいた。
死んだ時は大切な家族を失ってしまったという思いで、しばらく立ち直れない状態が続いた。
たかがペットと思うなかれ。長い間、生活を共にしたらただの動物とは思えないのが人情だ。
そんな、家族同然のペット。災害の避難時に家に残していけるだろうか?
そんな時、キャンピングカーなら一緒に避難ができる。
ペットの食べ物、衛生用品の備えもお忘れなく。
まとめ:自然災害を根本的に排除することはできない
自然災害というものは、リスクアセスメントと呼ばれるような潜在的な危険要因を見つけ出し排除することによって危険回避できるようにする、というような生易しいものではない。
時と場所を選ばず、我々に甚大な被害をもたらす巨大なエネルギーを、根本的に排除することなど人類には不可能なのだ。(はるか遠い将来、気象などをコントロールできるような時代になるかもしれないが…)
そういう意味で、自然災害に対して我々は受け身であるしかない。
しかし、どのような受け身の態勢がとれるかによって、受ける被害にも違いがあるはずだ。
その一役を担う一つの道具として、キャンピングカーの持つポテンシャルが活用できれば、キャンピングカーというものがもっと人々に必要とされるものになるかもしれない。
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